前に,
「創作料理のお勉強」というエントリで,真っ当な批判を受け入れない40代のオッサンの話をしました。
最近また同じ授業で彼の報告がありました。事前に来た文献指定のメールが相変わらずだったので,今回こそはコテンパンに批判してやろう(といっても一応全て研究がよりよくなるための建設的な批判のつもりなのですが)と思っていたのですが・・・
端的にいうと,「バカの壁」です(養老孟司『バカの壁』新潮新書,2003年)。外界の刺激をx,反応をyとしたときに,外界の刺激に対してどう反応するかをy=axという式で表します。このとき,係数a=0であれば,刺激が与えられても何の反応も起こらなくなります。これが「バカの壁」です。
すなわち,僕の批判に対する係数が0になっちゃってるんですよ。僕が何か批判すると,嫌そうな顔をして「だからその点は今回の報告とは関係ないやろう」と(先生「いや,関係あるよ」)。先生に対しては「それはまさに先生の仰るとおりで〜」と言っているんですが,内容を聞いていると先生のコメントも反映させる気はなさそう。つまり,自分の研究に対する根本的な批判は基本的に受け付けないという姿勢のようです。
要約すると,バカなくせにプライドだけは高い。年下に決定的な批判をされるのが嫌なのか?(僕どころか,先生も年下なのよな,そのオッサンからすると)
先生と授業後に研究室で喋っていたんですが,「仕事だから何とか理解しようとしたけど,分からんね,あの人の言ってることは」と。学界の若手実力派にも理解できない研究を誰が理解してくれるのよ?そのオッサンはよく僕のことを「優秀やねえ」と言ってるくせに,その僕が「何をしたいか全く理解できません」と言ってるのを,何で僕の理解の仕方が悪いと言うのか?(少なくともそのオッサンの言うには)「優秀」な僕に理解できないなら,他に誰が理解してくれる?
このオッサンは「俺がこんなにいいモノを作ってるのに,なぜ大衆は理解してくれないんだ」という疑問を抱いているかもしれませんが(いや,そもそも大衆が理解していないということも分かってないのかも),それは大衆が悪いんじゃなくて,自分の作ったモノの良さを伝えることができないアンタが悪い。それは先日のエントリ
「認められないのはアピール力不足」でも書いた通り。
こんな長々とつまらん話を書いてる自分への戒めもこめて。