以前,
「院生より学部生のほうが優秀」というエントリで,大学院ゼミの現状を書きました。要約すると,ゼミ形式の授業なのに発言がない,学部ゼミのほうがよっぽどよく喋るし,論点が的確,ということです。
で,その事態が顕著なゼミで,自分に課せられた報告を2回済ませ,もう後は出てもしょーがないと,一応表向きは多忙を理由に「もう出なくていいですか」という旨のメールを担当教員に送ったのですよ。
(かなり自分の中の毒をさらけ出してるので,そういうのを読みたくない人は以下に進まないでください)
うちの指導教員は,「院生さんは忙しいから,自分勝手になっていいんですよ。授業も,報告当たってるとき以外は出たくなければ出なくていいし。それでもちゃんと単位は出してあげます」という方針なので,その先生ももしかしたら,という希望の元,メールを送ったのですが,期待はあっさり裏切られまして。
メールの返事には,単位が欲しければ最後までちゃんと出てください,修士は基礎を作る時期なので,広く学んでおくことが大切です,という旨のことが書いてありました。
こりゃ本当の理由を隠したままでは話が通じない,と思ったので,早速以下のような内容の返事を出しました。
―現状の授業では出たくありません。別にレベルの高い議論を望んでいるのではなく,読んで思ったことを何でもいいから発言してもらえれば,そこから議論は発展すると思っています。しかし,参加者の積極的な発言のない現時点ではそれすらなされていません。
―ゼミは議論を通じてより理解を深めていく場です。議論がないゼミに時間を使うぐらいなら,その時間を使って一人で本を読んだほうが広く勉強できます。
全11回予定のうち現時点で6回出席,2回報告,積極的に発言(10人ほどいる学生の全発言時間のうち半分ぐらい僕が占めてる気がする),理解度トップ(ちゃんと理解してるのに黙ってる人がいるんであれば別ですが)。出席点が必須条件なら単位はもらえない気もするが,じゃあ全出席でもずっと黙ってる人には単位が出るんであれば,ゼミ形式の授業での評価方法としてちょっとおかしくないか?
ま,一応「どうしても出席しないと単位は認めないとおしゃるのであれば,僕も卒業には単位が必要ですので,出席します」と書いておきました(読みようによってはかなりイヤミ?)。もし今回のメールの返事が「やっぱり出席しろ」というのであれば,予習せずに臨んで,全く発言しないでおこうかと思います(沈黙が嫌いなので,僕にとっては逆にストレスですがね)。
大学院生の評価って,授業の成績よりも論文の質だろうに・・・いくら授業の成績がよくても,ひどい論文書いてたら意味ないし。授業で得たことをどれだけ論文で生かせるかだろ。見てる限り教養をつけるために授業出てそうな人もいますが,教養つけるだけなら院じゃなくて学部に入っててください。院の授業は学部生でも希望すれば出られますよ。