「忙しそう」と言われてる割には,毎日睡眠たっぷりのうきょーです,こんばんは。睡眠は生活の基本です。しっかり寝て,しっかりメシ食ってたら風邪もひかん。まあこれが自由業院生の特権ですか。
大学院で,専攻は違えどつながりの深い先輩との共同研究の構想がありまして。ちょうど先輩が研究したかった領域があって,しかしその研究をするには基礎となる勉強が必要で,そんな時間をとってると本業が疎かになってしまう。ちょうどそんなところに僕が入学してきて,僕のやろうとしてる研究がまさにその領域。
僕にとっても,その領域を研究しようにも,基礎知識が余りにも不足しているため,先輩の力が必要。二人の力を合わせれば,先輩の分野,僕の分野の双方の学界にインパクトを与えられるんじゃないかと。
それもこれも,前提となる共通の認識をもっているから話はポンポンと進んでいくわけで。共通の認識なしに話をしても,話というのは通じないのですよ。
まあそれが異文化コミュニケーションの難しさであったり,「私って○○な人じゃないですかー」「うんうん(いや,知らんがな)」という会話のすれ違いであったりにつながっていくんですが,今日の話はそんなことでもなく,単にふと思い出した高校時代に感じていた理不尽なことについてなんですが。
なんか,あるアホな同級生が,卒業式の日に卒業生とささいなことから口論になって殴り合いのケンカをしたらしく,全校集会だか学年集会だかが開かれて,校長のお説教があったんですよ。
で,その事件のことも別に校長から説明があったわけでもなく,友人のルートを通して聞いたのですよ。これもたまたまそのアホな生徒と仲のよい生徒が僕の周りにいたため,概要を聞くことができたのですが,おそらく大部分の生徒はそんな事件があったことなんて知らないのではないかと。卒業式の日は休みだし。
そんな状況なので,いくら校長がお説教しても全く意味なし。何が起こったのか知らないし,そもそもそのアホの行動は学年や学校全体の生徒と全く関係ないし,理不尽極まりない。
このように,認識を一致しないお説教なんて時間の無駄でしかなく,「俺は今生徒の人生のために説教している」という単なる校長のオナニー行為なんですな。
ところで,朝礼時の校長の挨拶って,なんであんなに内容のないことを長々と喋れるんでしょうね(もちろん校長によりますが)?要点を得ない主張は,それがスピーチであれ論文であれ,読み手・聞き手の側に何も伝わらないことを肝に銘じたほうがよいですな(自戒もこめつつ)。