今日はいい天気だ!blog

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出願の謎

 遅ればせながら,あけましておめでとうございます。

 本年も,細々と更新していきたいと思います。

 
 修論も大詰め,と同時にドクターの出願もしなければならないわけで。願書を書いてました。そんなとき,説明書類に5点ほどツッコむべきポイントを発見。

(1)出願資格の欄。「その他本研究科において,修士の学位又は専門職学位を有する者と同等以上の学力があると認めた者で,平成19年3月31日までに24歳に達するもの」。
 「者」と「もの」が統一されてないのも気になるのですが,たしか1学年の区切りって4月2日生まれから翌年4月1日生まれでしたよね?大学のサークルの先輩に,僕と同じ生まれ年の4月1日生まれの人がいました(もちろんお互い現役入学)。

(2)出願書類の欄で,「卒業(見込)証明書又は修了(見込)証明書」の提出を求められているのですが,何で同じ研究科内で進学するのに,わざわざ書類請求して提出しなきゃなんないのよ。そっちで持ってるでしょ。まあ,機械で出すだけだからそんなに手間はかからないけど。

(3)同じく出願書類の欄。書類セットに含まれていた「受験票」と「受験者写真票」が,提出すべき書類としてリストアップされてない…。本当に出さなくていいのか?

(4)受験票を送付するための封筒がA4サイズ。受験票自体は小さい封筒に入るサイズだし,入学手続の書類ならともかく,受験票送るときの書類なんて折り曲げれば入るだろ。昔別の大学の修士課程を受験したときは,たしか受験票どころか合格通知も小さい封筒だったぞ。

(5)最大の謎。目の前に大学の事務があるのに,「出願書類の受付は,郵送(書留)によるもののみとし,直接持参しても受理しません」。
 そこにどんな合理的な理由があるのよ?手渡しだと,渡した/受理したということが証明されない,っていうなら,提出時に一筆書けばいいじゃないか。すぐそこにある事務に送るために,それより遠い郵便局に行かなければならず,郵便物自体も一度本局を経由して配達されるという大きな無駄。

 もう一つついでに言っておけば,もう出願期間に入っているのに,未だにホームページに入試情報が掲載されていない…。ちょっとひどいな。
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先輩,或いは「せぇんぱぁ〜い」

 院生にとって,先輩,特に同じ専攻の先輩というのは非常に大事な存在だ。研究の相談をはじめ,色んなことを先輩に聞くのはとても有意義だ(注1)。

 理系の研究室みたいに,先生と指導院生が同じ空間にいるのならば,自然に同じ専攻の先輩との付き合いができる。しかし,社会科学系によくあるように,先生は個人の研究室を持っており,院生は他の専攻の院生とごちゃ混ぜの研究室を使う場合は,同じ専攻の先輩との付き合いは自然には生まれない。

 こういう場合,先輩を頼ることの重要性を認識している院生は,授業等を通して知り合った先輩を頼ってその先輩のいる研究室を訪ねたり,その研究室に所属しようとしたりする。認識していない院生は我が道を行き,大概の場合お粗末な修論を書くか,修論直前になって慌てて先輩を訪ねる。

 大学院によっては,そもそも同じ専攻の先輩がいないこともある。そういう場合でも,先輩の重要性を認識している院生は他大学に遠征して人脈を作り,認識していない院生は「お山の大将」となる。


(注1)もちろん,先輩と一口に言ってもピンキリなので,アフォな先輩の言うことを真に受けないように気をつけなければならない。
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続・資料収集

 今日も今日とて資料集め。今日は大学の図書館へ,新聞記事の収集に行きました。

 必要な記事が載っている日付は昨日の雑誌からピックアップしたので,それを集めるだけなんですが,図書館内でコピーするのは金がかかるので,いちいち借りて大学院棟まで運んでコピーしました(今なら大学院棟内でのコピーは無料)。

 新聞は,縮刷版といって,新聞を見開きA3サイズに縮小したものを1ヶ月分ずつ本に綴じてあります。両手に抱えるようにして持って4冊ぐらいが限度なんですが,これが意外に重い。持つだけならともかく,図書館←→大学院棟の往復は身体にこたえます。司書のおばちゃん曰く「日経(新聞)は紙質がいいから,他の新聞より重いのよ」。

 持ってくる新聞の年号を間違えたりして無駄足を踏みながらも,だいたい日経は集め終えました。さて,次は読売だ!と思ったら,読売の古い分はうちの大学には縮刷版がありませんでした。つまり,新聞の実物が綴じてあるだけ。でかい(新聞サイズ)。そして,重い(古新聞を朝夕刊全部まとめて新聞袋に入れて持ったときと同じ重さ)。これは持ち運ぶだけでも大変だ,と判断。諦めて後日デジカメで写真を撮ることにしました。

 夜は朝日新聞の記事を収集。うちの大学は朝日新聞のデータベースサービスに加入しているので,研究室からでもオンラインでデータベース検索ができるんですな。まあデータベースの便利なこと便利なこと。1時間足らずで欲しい記事を手に入れることができました。

 他のデータベースにも加入してくれたら効率上がるのになあ。まあ実際の新聞記事を見ながら探すのも面白いんですけどね。その時代の状況を知るって意味では。ちなみに僕が調べていた時代は,モロに阪神の暗黒時代でした。巨人に対して3勝16敗。全体でも借金20〜30。湯舟が2勝7敗とか,ドラフト1位が萩原とか。巨人では原が活躍してましたね。野球だけかい。いや,野球以外にも見てましたよ,たまに広告に登場する女の子の眉毛の太さとか。
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資料収集

 修論に使う資料を探しに,大阪府立中央図書館に行ってきました。

 業界では割とメジャーな雑誌なのに,うちの大学には公式には入っていないのですよ。とある先生が,「買ってくれないのなら俺が買う!」と最近の分は非公式に入っているんですが,僕が欲しいのはもっと昔の分。中央図書館にはそれなりに入ってることを確認して,レッツラゴー。
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参考文献のデータベース化

 読んだ本や論文が多くなりすぎて管理できなくなってきたので,データベース化を図ることにしました。

 過去にどんな文献を読んだかが一目で分かるだけでなく,そのデータベースから直接,論文の末尾につける参考文献リストに加工できるように,1日中エクセルと格闘(エクセルの関数をまともに使ったことがないので,四苦八苦。この際だからと関数辞典を買ってきました)。

 結局,こんなデータベースができました。
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僕らが学者になる理由

 バイトの後輩からのメールで,僕が5年かけて本社の社員を説得し,少しずつ修正してきた「あるもの」が,一振りで壊されたことを知りました。最後はやっぱり会社の「論理」か,と。
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追い越し車線

 学部ゼミの2つか3つぐらい上の先輩でありながら,色々事情があって大学院に同期入学したKさん。僕がまだ学部生の時分に,

 「僕がハイウェイの左側車線走ってたら,後輩がみんな右側車線から追い越していくわー」

 ということを言ってました。博士課程に行きたいと言うも,指導教員に「君は無理」と言われ,つい最近の研究発表でも「わけわからんし,議論が堂々巡りだった」(同期の院生談)とか。

 ハイウェイを原付で走ってたら,たとえ後輩が軽自動車でも追い越されますって。
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バカの壁2

 直前のエントリ「バカの壁」のオッサンの研究,何が問題なのか。

 「このハサミを鍛えれば何か切れるものがあるのではないか」と主張しているのですが,僕が「じゃあ一体どういうものを切りたいんですか?」と質問しても,「それは今探してるとこや」と。

 せめて鉄を切ろうとしてるか紙を切ろうとしているのかだけでも明らかにしてくれないと,そのハサミを鍛えることに果たして意味があるのかが分かりません。

 今のところ,とてつもなく硬くて大きいものを,お手製の小さなハサミで切ろうとしているようにしか見えません・・・
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バカの壁

 前に,「創作料理のお勉強」というエントリで,真っ当な批判を受け入れない40代のオッサンの話をしました。

 最近また同じ授業で彼の報告がありました。事前に来た文献指定のメールが相変わらずだったので,今回こそはコテンパンに批判してやろう(といっても一応全て研究がよりよくなるための建設的な批判のつもりなのですが)と思っていたのですが・・・
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認められないのはアピール力不足

 (ある研究の重要性)=(その研究の意味づけ)×(受け入れられやすさ)

 研究ってやつは,どれだけ自分が重要だ・面白いと思ってやっていても,学界や一般の人にそれが受け入れられるかが大事です。少なくとも,研究をすることで収入を得るためには必要なことです(まあその場合はお金をくれる人が受け入れてくれるかが大事になりますが)。

 研究の重要性は,テーマ選定の段階で決まるものではありません。もちろん,研究動向にも流行ってやつがあって,流行りのテーマは重要だと思われやすいため,有利です。しかし,そのテーマを使って自分がどんな研究をやるかということについて,しっかりとした意味づけをしてアピールしないと,そのテーマ自体は重要だと思われていたとしても,自分自身の研究が重要だとは思われません。

 つまり,たとえテーマの重要性が一見なさそうでも,研究者がその重要性をうまくアピールすることができれば,重要だと認識されるようになるということです。

 テーマを選ぶときは多分に直感が影響しますが,重要性のアピールはその後の努力次第で決まります。「天才は1%のひらめきと99%の努力」にも通じるものがあるかも。
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今日は祭り?

 うちの業界の学会では,テーマ別に分科会というのが開かれ,そこで報告者が自分の研究を発表します。また,それについて討論者が質問したり,会場の聴衆が質問用紙を提出したりして,報告者はそれに回答します。

 今回の学会で,なかなか面白い「事件」が起こりました。以下話を分かりやすくするためのたとえ話。

 あるリンゴを,どう切るとどんな断面が観察できるのか,どんな成分が含まれているのかを分科会で議論していました。

 会場からの質問に答えるコーナーになり,ある報告者が読み上げた会場からの質問用紙の内容が,正直「?」という内容でした。「質問の意味を私が理解できていないかもしれませんが〜」と前置きしてその報告者が答えはじめたところ,その質問を提出した人が立ち上がり,質問の意図を説明しはじめました。

 その質問の内容は,「リンゴを美味しくするためには,いい肥料を使う必要があるのだ」と,全くもって論点の違うことを力説するものでした。

 こんな人でも大学に帰れば「先生」なんだな・・・


 そんなエピソード以外にも,今回は報告者(上記の分科会は除く)にも,科学的な根拠を示さずに「いい肥料を使うべきだ」「もっと日光に当てるべきだ」という主張をするだけの人が多かったです。

 同級生や先輩にこんな話をしたところ,「学会は『お祭り』だから(仕方がない)」と言われました。うん,たしかに。

タイトル参考:「『今日は祭り?』が聞いてみたい」
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視線集中

 学会に行ってきました。

 今回,学会自体がアレな感じでした。まあ元々報告には期待してなくて,勉強しに行くというよりも,研究者の知り合いを作りに行くという目的が強かったのですが(そのために自腹で交通費とか宿泊費とか払ってますが。将来への投資ですかね)。

 とあるセッションで報告を聞いていたときのこと。なんだか報告者や聴衆からの視線を感じるなー,俺が若いからか?(うちの業界では修士課程の学生はまず学会に来ないので)とか何とか思っていたんですが,休憩時間に後ろを振り向いてその理由を理解しました。


 僕の後ろに学界(注:「学会」ではない。学会でも一番偉いけど)で一番偉い先生が座っておられたからでした。
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創作料理のお勉強

 一部で大好評(?)「何かに似ている」コーナー。

 研究と料理は似ています。ただし,とりあえず僕の専門である社会科学に話を絞ります(他分野はさっぱり分からないので)。

 論文はレシピです。すなわち,こんな素材をこのように料理すれば,こんな美味しいものができます,ということを他の人に伝える手段です。

 研究者はプロの調理師です。調理の方法には色々あって,凝った調理法を極めるフランス料理のシェフもいれば,最低限しか手を入れずに素材の良さを生かす技術をもつ和食の板前のような人もいます。

 同じ肉,同じ魚を使っても,調理師や調理法が違えば全く別の料理ができあがります。「こんな味にしたい」という目標を作れば,その目標に到達するためにどっちの調理法が優れているか,という点で優劣はつけられますが,単にフランス料理と日本料理のどちらが優れているかという比較はできません。
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長所と短所は裏表

 長所と短所は表裏一体だな,と改めて感じました。

 僕は私生活でいえば「(年齢の割に)しっかりしてる」という長所をもっていると言われてますが,逆に「しっかりしすぎてる」ことが短所として言われることもありました。

 研究でも同じようなことをいつも感じています。先日のエントリで書いた学部3年のときのゼミ論を最近読み返してみたんですが,よく言えば内的な矛盾がなく,「カタい」論文だと思いました(先輩にもそう評されました)。反面,小さくまとまりすぎていて,結論が全く面白くないです(当時も結論の書き方に相当悩んだ覚えがあります)。学部4年のときの論文も,とある先生に「きっちり論じているけども,学部生の論文にしてはやや対象が狭いね」と評されました。

 つまり,自分できっちり論じることのできる範囲を研究対象として設定し,その中では批判が難しいほど厳密に論じるけども,逆に言えばそもそもその対象が狭く,大きな議論に結びつかない,と。「自己完結型」とでも言いましょうか。私生活とまるっきり同じ傾向が出てますな。
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「大学陰性」

 大学院って何だか入学するのが難しそうに見えますが,実は思ってるより簡単なんですよね(もちろん専攻によりますが)。

参考:「社会人のための大学/大学院進学ガイド:はじめに〜リカレント教育時代を迎えて〜」

 うちの研究科なんて,社会人枠だと外国語の試験も課されないし(小論文だけ),正直ぶっ通しです。もちろんまともな人もいますが,一昔前に比べて(先輩に聞いた話)わけのわからん人が増えたのも事実。

 講義主体の大学なら別に他の院生には何の影響もないので構わないんですが,ゼミ形式だと受講生のレベルが低ければモロに影響くらってしまうんですよね。

 英語文献講読の発表で,翻訳サイトに突っ込んで出てきた訳をそのまま読むだけってどうよ?授業の趣旨を自分勝手に解釈して他の受講生に迷惑かけるってどうよ?授業で発言も予習もせずにただ聞くだけってどうよ(大学院じゃなくて学部に行けば)?

 それもこれも「研究者養成」と「高度専門職業人養成」と「生涯学習」が混在してるから問題になるんですよ。まあ今年から授業数が増えたので,少しは改善されるんでしょうけど(それでも「わけのわからん人」は空気を読まずに研究者養成向けの授業に顔を出す。初回だけ来てビビって逃げるけど)。

 最近愚痴ってばっかですなorz
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そんなに見ないで・・・

 モノを継続的に作っている人なら分かると思うんですが,自分の過去の作品というやつは「恥ずかしいもの」です。特に作り始めの頃に残した作品というのは。思わない人は進歩がないということです。博士号を取得したある先輩は,「参考にしたいので修士論文見せてくださいよー」と後輩に言われ,「修士論文見せるくらいならア○ル見せるわ!」と言い放ったという伝説を残しています。

 今日4月25日,遠くの大学のあるゼミで,僕が学部3年のときに書いたゼミ論文が取り上げられます。
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オリジナリティー

 前々から思っていたことですが,研究と作曲って似てるんですよ。どちらもクリエイティブなことなので,当然っちゃあ当然ですが。

 何かをふと思いついて,「これは俺のオリジナルだ!」と思ってみても,実は既に誰かが同じようなものを作っていたりします。また,完全なオリジナルなんてなくて,過去の人たちが積み上げてきたものに,少しだけ自分のオリジナリティーを載っけることしかできないんです。

 だから,作曲をするときには,いかに多くの音楽を聴くか,研究をするときには,いかに多くの先行研究を読むか,が必要条件なんですよ。もちろん,それだけではオリジナルなものは生まれないので,十分条件ではありませんが。

 僕は研究でも作曲でも,アウトプットばかりに関心がいってしまい,必要条件である先人の積み上げたものへの理解が足りません。

 山を高くするには,裾野を広くしないといけない――大学院入試の際に,隣接分野の大御所の先生から「君はそっちの試験(僕の専門分野)はよくできてるけど,こっちの試験(隣接分野)は残念賞ですね」と言われて思ったことです。

 もっと勉強がいるわ。
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人はそれを独善と呼ぶ

 同じ研究科の知人に誘われて,彼が立ち上げた研究会に参加してきました。その研究会にはお隣の研究科の院生が多く,今日はその人たちが修論の概要を報告したのですが,内容とともに研究態度に疑問符。

 科学的な論文であるからには,自分が何を論じるのかを定義によって明らかにしなければなりません。

 たとえば「瓦の割り方」を論じるとします。そのときに必要とされるのは,どんな「瓦」なのか,それをどのような方法で割るのか,ということを定義によって明らかにすることです。これが明確でない状態で論じられたら,その論文によって新しく何が分かったのかが明らかでないし,たとえば「そんな方法では瓦は割れませんよ」と批判したとしても,「ここでいう瓦とは,実は瓦せんべいのことなのですよ」というふうに,いくらでも批判をかわすことができます。そんなもんは科学じゃない。

 ってな主旨のことを僕はコメントしたのですが,その人は「定義なんて実務では関係ない。そこに問題があれば定義なんてせずに,とりあえず着手するんだ」なんてことをおっしゃいました。あっそ。じゃあ大学院なんて来ずにずっと実務でやってればいいんじゃないですか,と。何のために論文書いてるんだよ。

 とある先輩がその研究科の院生の研究内容を「まともな研究やってない」と評していたのですが,ちょっと理解できました。ソリューションばかりに関心がいきすぎて,その前提に必要な現状分析がなってないのですわ。まあ個人差はありますから,その研究科全体のことは一概にいえませんが。うちの研究科にも1万字に満たない修士論文を書いた院生がいま・・・(このネタをオチにするのもそろそろくどいか?)
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当たれ!宝くじ

 ここのところはずーっと日本学術振興会の特別研究員に採用してもらうための申請書類を書いてました。今日やっと一通り書き上げたので,これから自分で見直しした後,先生や先輩にチェックしてもらってまた書き直す,という作業になります。

 この特別研究員,「宝くじに当たるようなもの」と言われるぐらいなかなかなれるもんじゃないんですが(でも宝くじよりは遥かに期待値は高いですし,「宝くじみたい」と言ったのが特別研究員の人だったりする),宝くじも買わなきゃ当たらないので,とりあえずダメモトで書いてます。当たれば3年間親に頼らず自分で生活費・学費全てまかなえるのはものすごい魅力。以前親戚の集まりで「ドクターに進学する」と言ったら,「お父さん大変ねえ」と言われたのが嫌だったのでね。自力で何とかしたいと。

 宝くじと決定的に違うのは,「こんな研究しますのでお金ください」という研究計画書を書かなければいけないこと。スペースが限られているので,必要なことを凝縮して書いたのですが,それでも約8000字。おっと,修士論文を1万字に満たない字数で提出した博士後期課程進学者の修論と同程度の字数。彼は自分の主張をどれだけ凝縮したのでしょうね?
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釘を打て!

 以前,修士論文を1万字に満たない字数で提出した研究者志望の人がいると書きましたが,どうもその人が口頭試問をパスして,ドクターの入試まで通っちゃったようで。

 別に他人がどうしようがホントは知ったこっちゃないんですが,「俺様が博士課程の院生だ」と言わんばかりに肩で風切ってのさばるような人種なので,見ててむかつくのと,他大学の人に「○○大にはこんな(アホな)博士課程の院生がいるのか。終わったな」と思われるのは,中にいる者としてひどく迷惑な話ですので,少々苛立っております。

 「こんなやつを合格させたのは誰だ!責任者出て来い!」

 というのは僕の心の叫びです。院生がアホなのはある程度仕方がないところもあるんですよ。だって修行中の身なんですから。なので,責任はそんなどうしようもない修士論文を認定してしまった教員にあるといえます。事実上,指導教員である主査がOKを出せば,副査が難色を示しても通ってしまうらしいのですな。よし,ちょっくら釘を刺しにいこうか。
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文章をまとめるということ

 短く書いたからといって,「コンパクトにまとめた」とはいえない。

 「コンパクトにまとめた」とは,通常その分量の文章に含まれる以上の情報量が含まれている場合にいえる状態だ。つまり,たとえば50ページ書ける(書いた)けど,内容はそのままで文章量を削って40ページにした,ということ。もちろん,同じ量の情報が含まれているのであれば,文章量が少ない方が優れていることはいうまでもない。

 しかし,通常30〜40ページ要求されるところを,25ページ書いて「コンパクトにまとめた」というのは,それは単に25ページしか書けなかったことの言い訳にすぎない。たとえ頭の中に100ページの構想があったとしても,それを形にできなければ評価はされない。

 はじめからコンパクトにまとめることができる天才的な人ならともかく,並の院生であれば,一度多めに書いてから削っていくことを推奨する。

 そもそも,文章というのが自分の考えを他人に伝える手段である以上,締め切り間際に書き上げて,一度も誰にも読まれない状態で提出した論文なんて,出来がよいわけなかろう。
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沈黙は金じゃない

 全く専門外のゼミに顔を出した。

 研究室で先輩が話していたことに食いつくと,「今からその話でゼミやるから,おいでよ」と言われ,しかも今回の報告者が仲のよい,優秀な同期の院生だということで出てみることに。

 全く専門外というか,僕の研究はその分野が扱ってるものを別の視点・方法論からアプローチする,というもの。興味はあるが,やっぱり方法論としては専門外。完全に素人。

 とはいっても黙って聞いてるだけっていうのは,ゼミに出る意味がない。思ったことはすぐ発言する。しかしながらやはり素人。先生にボコボコに叩かれる(もちろん議論上ですよ)。その先生がかなり手厳しい人だというのを知る。「アホな発言をしたなあ」と少し後悔。恥をかいた気がする。

 もちろん,「よく分からないから・・・」と発言しなければ恥はかかなかっただろう。でも,ゼミで黙っていて得るものは少ない。たとえその場で恥をかいたとしても,議論で負けて得るものは大きい。この恥を糧に,次はその議論を上回ればいいだけのこと。失敗は成功の母。

 そもそもゼミで黙ったままとか,ボコボコに叩かれたからって専攻分野を変えて逃げるとか,そんなんで研究者になれるわけないだろ。というか,議論で負けたら「次こそは・・・!」と思えなきゃ,いい研究なんてできるわけない。
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試験問題作成

 TAやってる授業の教員から依頼されて,試験問題のごく一部の草案を作成しとるのですが,これが難しいんです。前に授業の課題としての問題も作ったことあるのですが,かなり頭悩ませました。

 ちょうど研究室で非常勤講師をやっている先輩も試験問題を作っておりまして,ちょっと話したところ,自分がそれなりの難易度だと思って作ると,学生にとっては難しい問題になる,というところで合意しました。授業の課題を作ったときには,「なかなかいい問題ができた」と思ったのですが,実際使われたときには難問として位置づけられてましたし(だから問いとしては面白いのですがね)。
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修士論文ラッシュ終了

 先日,修士論文の提出が終わりまして,うちの研究科も静けさを取り戻しました。最近は遅くまで他の研究室も明かりがついてたのに,今日は真っ暗。

 僕はM1なので修士論文を書いていないのですが,結局4本の修士論文の校正とコメントを頼まれまして,年末年始は何となく忙しかったです。

 僕が読んでコメントした人たちは,皆修士論文に十分相当する論文でしたので,ちゃんと口頭試問も通過すると思われますが,ダメっぽい人も噂で耳にしまして。
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授業の妄想

 全てが順調にいけば(これが非常に重要),僕は数年後には大学の教壇に立つことになります。来るべきその日に向けていろいろと妄想を巡らせているわけでありまして。第1回目の講義の際には授業中の原則を語ろうかと思ってます。今日はその一部を紹介。
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論文ラッシュ

 あっという間に年末でして,周りも慌しくなって参りました。先生も走る師走ですが,学生も走ってますわ。主に修士論文を書いてる先輩方が。

 ってことで皆さん僕にも論文のコメントや校正を依頼してくるわけで,そのせいで僕も走らないといけなくなってます。今日は専門外の論文を2本読みました。一つは全くの専門外,他学部の後輩の卒論。もう一つは同じ研究科ながら,かなり異なる専攻の先輩の修論。

 なかなか専門外の論文を読むというのは大変なもんです。内容の理解に四苦八苦。注のつけ方や参考文献の書き方など,作法もいろいろ違うのでちょっと戸惑ったり。

 今日読んだ2つの論文は,専門外の僕が読んでもそれなりに面白いと思えたいい論文でした。まだあと2本ぐらいは読むことになるんだろな。1つは兄弟子の論文なのでいいんですが,もう1つはなかなか苦労しそうやな・・・
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大学院教育を考える

 「授業ボイコット」は結局免れまして。

 ま,簡単に言えば,僕もまだまだ青いな,と実感しました。どうにもならないことは世の中にいっぱいあるんだと。そこでキレてやめてしまうのではなく,それを所与のものとして,そこからどう変えていくかを考えなければいけないのだなと。
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授業ボイコット

 以前,「院生より学部生のほうが優秀」というエントリで,大学院ゼミの現状を書きました。要約すると,ゼミ形式の授業なのに発言がない,学部ゼミのほうがよっぽどよく喋るし,論点が的確,ということです。

 で,その事態が顕著なゼミで,自分に課せられた報告を2回済ませ,もう後は出てもしょーがないと,一応表向きは多忙を理由に「もう出なくていいですか」という旨のメールを担当教員に送ったのですよ。

(かなり自分の中の毒をさらけ出してるので,そういうのを読みたくない人は以下に進まないでください)
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TeXからWordへ

 LaTeX(文書作成のツールです。知らない人はここなんて参照するとよいのでは)の存在を教えてくださった先輩から,「TeXをWordに変換できるソフトがあるらしい」という情報を得たのは先日のこと。今日ふと大学生協に貼ってある広告を見ると,その名称が明らかに。

「TeX2Word」

 ううむ。アカデミック版で1万円か。なるほど安いじゃないか。だけど俺の給料はもっと安いからな。

 と,マニアックなネタを口走ったかどうかはともかく,これからもずっとTeXで論文を作成していくのであれば,Wordへの変換もできた方がよいな,と感じている今日この頃。理系ならともかく,文系でTeXを使ってる人は稀だからなぁ。先日歴史系の後輩に聞いた話だと,卒論を原稿用紙で提出しろと命じる先生もいるみたいだし(今どき手書きの論文て・・・)。
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院生より学部生のほうが優秀

 ゼミ形式の授業というやつは,参加者が喋らなければ成り立たないものです。

 一般的に,参加者が共通の文献を読んできて,報告者がそれをまとめたものを報告,次に議論,というのがゼミ形式で,文系の大学院では,ほぼ全ての「授業」がこのような進行方法になっていると思われます。

 文系大学院生の僕も,現在出てる授業は全て院のゼミ形式の授業で,それに加えて指導教官の学部のゼミにも顔を出しております。

 学部のゼミと院のゼミ。一般的に見れば院のゼミの方がレベルが高いと思われますが,ゼミというのが参加者の発言によって成り立っている以上,参加者自身のレベルによってゼミのレベルは決定されます。

 では,学部生と院生。普通に考えれば院生の方が高レベルであるべきですが,現在僕が感じているのは,文系の大学院であれば,並の院生よりも学部生の方が優秀,ということです。
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