「教師は社会を知らない」という批判がたまに聞かれます。大学教員もここでいう教師に含まれるようで,他人事ではないので,ちょっと考察してみましょう。
この批判の根底にある論理は,こういうことです。教育を受けてきたのも学校,卒業して仕事をするのも学校,だから学校という社会しか知らない教師は,社会を知らないのだ,と。
ここで問題になるのは,「教師は社会を知らない」の「社会」というのが何を意味しているのか,ということです。これについて二点の問題点を指摘しましょう。
第一に,「学校という社会しか知らない」というのが間違っています。生徒にとっての学校という社会と,教師にとっての学校という社会は違います。サービスの受け手と供給主体では,単に同じ空間にいるというだけで,同じ社会にいるわけではありません。デパートやスーパーで,店員と客が「同じデパート(スーパー)という社会にいる」とはいわないでしょう。
したがって教師であっても,少なくとも2つの社会を経験しているといえます。では,学校を卒業して自分の入った会社という社会しか知らないビジネスマンと,教師とは,どう違うのでしょうか。単に主観的な印象論による批判としか見れません。
第二に,「社会」が何を意味するのか明らかではありません。ここでいう「社会」が,この批判を行った人が属している「社会」のことを指しているのならば,そらその人の言う通りですが,そんな批判は教師じゃなくても当てはまるでしょう。医者は弁護士の社会を知らないし,弁護士は建設業の社会を知らないし,カタギの人はヤクザの社会を知りません。
そもそもこういう批判を行う人は,「自分は社会を知っている」という前提に基づいて話をしていると思われます(もちろん,ここでの「社会」とは,批判を行っている人が主観的に捉えている「社会」のことですがね)。この世に社会は無数にあるのに,一人の人間がいろいろな社会をよく知っていると思いこむこと自体が傲慢です。自分が知らない社会のほうが多いということをよく肝に銘じておくことが大事なのではないでしょうか。